かつての新町と堀江
自分の住む町が昔はどんな感じだったのか知ると、町に愛着が湧いたりする。
私の住む町も昔は花街であ、り東の吉原、西の新町と言われたようです。
新町
詳細は「新町遊廓」を参照
新町遊廓は大阪最古の花街で、江戸時代には大阪唯一の幕府公認の花街であった。地名の由来は、大阪中の花街を集めて一つの新しい町にしたことから。江戸の吉原、京都の嶋原と並ぶ三大遊廓の一つだったが、娼妓より芸妓の数が上回っていた。嶋原から移った夕霧太夫が主人公の歌舞伎『廓文章』はこの花街が舞台である。
『廓文章』の舞台のひとつである揚屋(現在でいう、料理屋、料亭)の「吉田屋」は大阪大空襲による焼失まで嶋原の「角屋」と共に現存していた。『浪花踊』が上演された新町演舞場は閉鎖されたが、建物は大阪屋本社ビルの一部として残っている。「砂場そば」の発祥の地でもある。
堀江
詳細は>「堀江 (花街)」を参照
大阪市西区堀江に花街が存在した。1698年、河村瑞賢が堀江川を掘削した際、現在の北堀江の北半分が花街となった。新町の南側に位置するが、新町に比べ娼妓主体の花街であった。相撲場や人形浄瑠璃の芝居小屋も近くにあり、新町より「庶民性」を強調していた。義太夫芸妓で有名だった。上演演目は『木の花踊』。堀江は明治中期に発生した「堀江六人斬り」事件が有名で、当時、置屋「山梅楼」に在籍していた芸妓の妻吉は楼主である加害者に両腕を切られる被害を受け難を逃れた。彼女は後に出家して大石順教(おおいし・じゅんきょう)と名を改め、福祉活動に貢献した。[1]
Wikipediaより。
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