【西区堀江】いっちょうめ、町名の由来
いっちょうめ町のこと。
北堀江、南堀江
この地は難波村といわれていましたが、元禄11年(1698)新地の開発を目的とした堀川の開削に伴い、難波、堀江(「・・・上古(じょうこ)の難波(なにわ)堀江にして今の大川也」【摂津名所図会大成】)を模して堀江の名を選んだのではないかという説があるそうです。
新たに開削した堀川を「堀江川」と名付け、堀江川の北側を北堀江、南側を南堀江というようになったそうです。
元禄15年(1702)には、現在の南堀江3丁目の高台橋(たかきやばし)公園付近に大坂角力の相撲場がつくられ、その対岸には堀江新地が発展し、いずれも賑わい、この両所をつなぐ橋は賑江橋(しんえばし)と名付けられ堀江川は昭和35年に埋め立てられたそうです。
昔はこの様に町が川で区切られていたんですね〜
水の都大阪!って言うわけです^ ^
堀江川跡
西区南堀江1-13(堀江公園内)
元禄11年川村瑞賢により、西横堀川と木津川を結ぶ堀江川が開削されこれにより、 堀江新地が開発され南堀江では大阪相撲、北堀江では浄璃璃等各種産業が起きた。
堀江川では、物資や運搬だけでなく堀江から文化の発信の通り道となった。
昭和35年に埋め立てられ役割りを終えた。
その堀江川の跡地である。
堀江は相撲の発祥の地とも言われています。
町の歴史を知る事は楽しいですね^ ^
あんじ